色々やってみる日記

粘土フィギュアの製作ログ、うつや不安症の話、論文執筆やResearch Studentのあれこれについて。

博士課程 (文系) 始めたての自分に教えてあげたい、腐りかけの先輩からアドバイスシリーズ【vol.1、先輩の博論を読もう】

 

博士課程を始めたあなた。早いうちから、同じディシプリンの先輩の博士論文は空き時間に読むことをオススメする。

 

注:入学したてキッズに対するアドバイスというタイトルにしていますが、実際は学生さんに対するアドバイスというよりわいが入学前に知っておきたかったことという気持ちで書いております。つまりこの入学したてキッズ=X年前のわいのこと。Otherwise わいは他の学生にアドバイスできるような立場じゃないから!もちろん間接的に誰か役に立てれば嬉しいお!

 

 

なんで先輩の博論を読むべき?

完璧主義にならないため

博士課程に入ってくる学生には2タイプいる(暴論)。

 

タイプAは自分の能力にすでにある程度の諦めとか見切りが着いている。現状がよく見えていると言っても良い。だから高望みせず、今できる自分のベストの研究をやっていけるタイプ。

 

タイプBは野心家で、悪く言えば高望み。自分の比較対象がディシプリンのトップofトップの研究者だったりして、自分の研究内容にいつまでたっても納得ができない。完璧主義者ともいう。

 

タイプAは心配せんでも地に足着いた研究をするけど、タイプBはまじで先輩の論文を読んだ方が良い。なぜかというと、先輩の論文に(程度の差はあれ)完璧なものは一つもないから。先輩方の論文は、完璧な博論なんてものは存在しないということを教えてくれる。そこにあるのは底辺を這って書き上げた努力の残骸&結晶だけ

 

あなたが書いていく博士論文も同じ。完璧な博士論文を書けるタイプの学生はおそらく100人に1人くらいしかいない(ほら、アッシュ・リンクスとか有末静みたいな奴もいるかもしれないし)。他の99人の博士論文は、全部「努力がのたくった論文」。わいは基本的に学生はそっちを目指すべきだと思っている。先輩の論文を読んで、「うわぁ努力がのたくってるなぁ」と理解できたら、あなたはかなりレベルが高い(ハンゾーの強さが理解できるキルアみたいなもん)。

 

「実際にどうやって努力をのたくらせるん?」という質問は少しずつ身につけて行けば良い(わいも書ける内容があるならアドバイスを書いていく)。ただ概念として、早いうちから「わいの書く博論というやつは努力がのたくったページの積み重ねなのだなぁ」と思っておくと良いと思う。

 

=先輩の博論を読んで、努力ののたくりを感じよう!

 

博士論文に「正解」はない

私は博士課程を始める前、大きな大きな勘違いをしていた。それは「論文っていうのは正解がどこかにあって、ライティングの作業はその正解に当たるまで書き続けること」だと思っていたこと。

 

例えばわいは粘土でフィギュアを作るけど、たまに一発で完璧な顔がこねれる時がある。わいは論文もそういうもんだと思っていた。完璧な一発に当たるまで、こね直しこね直しするものだと思っていた。

 

だが、今の私なら断言する:論文執筆に正解なんてもんはない(あくまでわいの意見ね!)

 

わいにとって論文執筆とは、論旨(内容)にA〜Eという選択肢があり、それを表現する書き方にもA〜Eという選択肢があるもの(選択肢を産出するのが研究、取捨選択してかくのが執筆)。筆者がするのは「正解を選択すること」ではなく「その瞬間瞬間に最適だと思ったものを、答えが分からないながらも選択し続けること」。

 

できれば同僚の博士学生や指導教官と良い関係を築いて、逐一「この選択どう思います??」というチェックができたらベリベリ〜グッド。個人的に、学生は指導教官に対して「恥や遠慮の概念なく等身大の自分をさらけ出せる」と良いんじゃないかなと思う。わいは真逆なんだけど、目指している方向性はそっち。自己嫌悪が強い人は、この記事で書いてみた「みんな神様イメージ法」を試してみてほしい。

up-phd.hatenablog.com

 

当然Reviseの段階で(マークシートを概観するみたいに)その時々の取捨選択の整合性を見直すことはできる。でも300ページ分の取捨選択+表現を完璧に整えることは不可能です。そんなことしてたら3〜4年では終わりませんねん亀は万年。

 

=つまり、博論に完璧はないと思って欲しい。

 

これが先輩の博論を読むこととどう繋がるかと言えば、⬇️

 

バリエーションを学べる。

博論に正解がないということは、「自分にとっての(今のリソースでできる)最適解」はマジで十人十色だということ。先輩の博論に「同じもの」は一つとして存在しない。みんなめちゃくちゃ違う。そしてここに名を連ねる予定のあなたの博論も、めちゃくちゃ違うオンリーワンのはずなのだ

 

ディシプリンを牽引する研究者を文章を読んで、そこに自己投影するのは危険。例えばあなたがフーコーが大好きで、フーコーみたいな博論を書こうとするのは危険。第一にフーコーはアカシックレコードに選ばれて一人で数百年分の研究を進めてしまった偉人なので、お手本にすると自己嫌悪で詰む。

 

もちろん、フーコーのinsightを研究に生かすのはご自由にどうぞ。ただ、フーコーみたいな研究をするぞ、フーコーみたいな論文を書くぞは危険。

 

その罠に陥らないために、先輩の博士論文を(細かく読まなくていいから)10本読んで見て欲しい。なんとなくみんなアプローチが違うことに気付くはず。「あぁ、私も他人のマネじゃなくて自分の内側から身と労働時間を削って論文を産み出さなきゃいけないんだな」と思うんじゃないかな。

 

フーコー、ニーチェ、バトラー、ブルデューみたいなビッグネームを参考にして論文を書こうとすると自分を追い詰める。ビッグネームも当然読んで学べばいいけど、ちょっと先を歩く先輩の論文もぜひ読んで。

 

=あなたが論文を書いていく上で現実に参考にすべきなのは、自分の少し前を歩く先輩たちの仕事だと思うから。

 

わいは部屋にオスカーワイルドの言葉をずっと貼っていた。

Be yourself, everybody else is already taken.

 

 

誰の論文を読むべき?

自分の在籍している大学の先輩の博論を読むと良い。

これにはプラクティカルな理由が2つある。

  1. 図書館システムを通して、先輩の博論が読み放題なはずだから(これが他大学となると、外の学生にアクセス権がなかったする)
  2. その先輩の博論からフォーマットや章構成を盗めるから(内容のプレジャリズムじゃなくて、フォントとかページ設定、章の数、そういうフォーマット面のお手本にできる)

今、大学を選んでいる最中のキッズは、ぜひ興味がある大学の博論デポジトリを探して先輩の博論を読んでみることをオススメする。「OO University, (Discipline), PhD thesis」とかでヒットすると思うので(後は大学の図書館サイトで探すか)。

 

あなたのディシプリンの有名校の博論を読むのも良い。

わいは1年生の時からずっとLSE (London School of Economics) の博士論文をよく読んできた。理由は、

  1. リソースが外部学生にもオープンなこと、
  2. 検索がとてもしやすくなっていること、
  3. 博論のクオリティが高いので、自分が目指すべきレベルのイメージが湧きやすい。

 

こんな感じでデパートメント(学部)を選べて、

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その学部内で最近提出された博士論文が一覧で出てくる。

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あとは自分の興味を引くタイトルをクリックして読めば良いだけ。ベリーイージー。他の大学もこれくらい分かりやすく博論のデポジトリー作って欲しい。タイトルを概観するだけでも30wordsくらいで論文の肝を表現してあるから勉強になる。

 

終わり

わいは他の学生の博論を読むのは趣味レベルで大好き。博士課程始めたて希望ウキウキッズの皆さんも、早いうちから博士課程は完璧で美しい論文を書くことじゃなくて、inherently 不恰好な努力のたくりページを積み重ねることだと気付くと論文執筆がしやすいんじゃないかなと思う。

 

じゃあお互いがんばろうず!ほなね〜