色々やってみる日記

粘土フィギュアの製作ログ、うつや不安症の話、論文執筆やResearch Studentのあれこれについて。

「不安」と「うつ」は分けて考えた方が良いと思う、その理由について。

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いつものように、今日の話もわたし個人の治療経験に基づくただの意見です。全ての言葉の前に「わたしの場合は〜」とついていると思って聞いてくれだお?

 

 

 

 

うつと不安は似て非なる

うつ治療を始めた2016年頃、臨床心理士のMさんは私に「あなたにはうつと不安があるのね」言ったのだが、当時のわたしには二者の違いがまったく分からなかった。

 

不安だからうつになるんじゃないの?うつだから不安になるんじゃないの?

 

そんな分かっていない状態のまま、より命に関わったうつ治療を開始して3年ほど経った今年。私はようやく自分が「うつの治療はしてきたけど、不安の治療はしてこなかった」ことに気づいたのだ。あのとき「うつと不安は似ているけれど別物よ」と言ったMさんの言葉をもっと真剣に理解しておけばよかった ー 今日の内容はそんな後悔から学んだアドバイスになる。

 

うつ=ディメンターに命と気力を吸い取られる

治療を開始した当初は、いちばん顕著に出ていた病状がうつの病状だったんだと思う。わたしにとってのうつは「ハリーポッターのディメンターみたいなのに生きる気力を吸い取られている」状態のことだった。でも実際にディメンターが体外に居るわけじゃないから、何が生きる気力を吸い取っているかというと、それは以下のようなもの。

 

  • 「自分が悪いんだ、責任は自分にあるんだ」「なんで自分はこんなこともできないんだ」「今日もなにもできなかった」みたいな強い自責傾向。
  • 他人から責められる・呆れられる・見捨てられる、失敗して全てを失うことへの恐怖心。
  • 心理学者のマーティン・セリグマンが言った「3つのP」の思い込み。
  1. Personalisation (問題は私が引き起こした) 
  2. Pervasiveness (問題は私の人生、生活の一部ではなく全部である)
  3. Permanence (この状態は永遠に続く) 

  

 

 

そんなディメンター取り憑かれ状態から、私が取り組んだうつ治療というのは

 

初期ディメンターに吸い取られた命と気力を少しずつ少しずつ水滴がたまるくらいのスピードで復活させていくこと。具体的には、ストレッサーから徹底的に距離をとる。毎日2、3時間の日光浴を2ヶ月は続ける。がんばって食事をとって、薬は飲んで、可能な時はヨガとマインドフルネスをする。

 

中期は行動認知療法などを通して自分の思考のねじれを矯正していく。「自罰⇨自己愛」「完璧主義⇨てきとー主義」「自分ですべてやろうとする⇨他人を頼る姿勢」みたいな感じで、新たな価値観、ポジティブシンキングを育てていくこと。

 

後期は社会復帰。実際のストレスに晒されても、中期で取り組んできたポジティブシンキングを続けられるか試行錯誤すること。

 

客観的に見て一番死に近いのはディメンターに吸い取られてゾンビ状態になっている初期なんだが、個人的には初期が一番気が楽だったし、治療もスムーズだった。ゾンビ状態の自分は確かに何もできなくて、ご飯は砂の味、毎日何時間も泣いている、言葉も出てこない、とにかくベッドで寝ている以外の全てが面倒臭く、シャワーやトイレすら重労働だった。でも、あまりにも自分ぶっこわれすぎて、自分で自分に「あんたは重病人だわ、あきらめていいよ、頑張らなくていいよ、さすがに休みなよ」と思えた。

 

逆に、元気になってきてからの方が治療に向き合わなくちゃいけなくて大変。死にかけの命を育むより、うん十年かけて癖にしてきた悲観や自責、完璧主義を意志の力で変える方が大変だった。また、行動認知療法等は継続的に続けていかないと、元の癖に引っぱられて戻っていったりする。行動認知で育んだポジティブシンキングって、私的には畑の野菜みたいなもん。ちゃんと芽が出て実がなっても、「もう大丈夫だね!」と水をやるのをやめてしまうと枯れてしまう。

 

基本的に私が「もううつは80〜90%寛解した」というときは、ディメンターが出てこないことを意味する。落ち込んだ日、調子が上がらない日でも、ディメンターは出ていないという意味。

 

治療開始1年後の2017年にはディメンターは8割消滅してたけど、奪われた体力・脳力・気力はディメンターが消えたからって即時に戻ってくるわけじゃないのね。体力を取り戻すのに、そっから丸1年必要だった。うつ病人の眠さ、しんどさって偽じゃないから厄介。1日5時間の昼寝が半年かけて2時間まで減って、1日2時間の活動時間が1年かけて6時間くらいまで増えて...... 。本当にゆっくりしかよくならなかった。もっと早く元気になりたいって毎日思ってたなぁ。

 

 

 

不安障害 = 増幅していく逃避傾向と、出せない勇気

今ちょうど読んでいる ACT (アクセプタンス アンド コミットメント セラピー)の本では、誰でも経験する程度の不安不安障害の違いを「逃避傾向の強さ」という尺度の一点で説明している。この本によると、強い不安は別に異常じゃないらしい。つまり強い不安に襲われること、身体的に汗が吹き出て、頭が真っ白になり、手が震えて、呼吸が乱れて、という経験自体は障害ではないらしい。

 

 

それが障害へ転んでしまうのは、不安すぎてトリガーとなるものを徹底的に避け始めたときから始まる。人前に出るのが怖いから外出しない。パニック障害になるのが怖いから特定の移動手段を避ける(そのうち全ての移動手段を避けるようになるかもしれない)のようなこと。

 

特定のモノや状況を怖がる「フォビア」は、不安の対象物によっては一生避けて生きていくことも可能かもしれないし、避け続けても日常生活を送ることが可能かもしれない(街中には蛇は出ない)。でも広場恐怖症や強迫性障害、PTSDやパニック障害のように、生活から切り離せないものが不安のトリガーだと、それを避け続けることはそのうち人生そのものをネグレクトしていくことに繋がっていく。また手強いことに、不安な対象を避け続けることでわいらの不安に対する耐性は減っていき、不安感はより強化されてしまう

 

 

 

私の不安障害:Emailが死ぬほど怖い

わいの不安トリガーはemail。大学の教務から役所気質のemailがしょっちゅう届くことで、メールを開くことが不安になってしまった。

 

うつで休学届けを出した時に、ほぼ半死の私に、教務が「この診断書は認められません」と連絡してきた。主治医は診断書なんて書き慣れているし、何なら提出前に複数の同僚に「この診断書で大丈夫かな?」と確認してもらっていた(自分ではもう確認できないほど脳みそが弱っていたので)。泣きながら主治医に助けを求めると、主治医がめちゃくちゃ怒ってくれて「私の診断を信じないということか?複数の重症患者を抱える私に貴重な労働時間をもう一度割けということか。何より大学のくせに、学生を殺す気か!」と反論メールを出してくれた。そしたら「あ、その診断書で大丈夫でーっす⭐︎休学認めま〜っす⭐︎」と手のひらくるり。

 

健康な学生ならまだしも、(教務にも情報が降りている)死にかけの学生に強硬的なルール主義で接する意味とは?「bureaucracyとはプロセスと申請者の扱いを一元化することだから、向こうにも悪気はないんやアキラメロン」という奴がいるなら、ほーんじゃぁてめえにくれてやる「bureaucracyなんてクソ食らえ」(急にラッパー口調)。

 

お前が死にかけのときにも、お前が泣きながら書いてきた不備のない申請書を却下し、診断書をもう一枚取りに行けとメール一つで命令し、時間がないときに部署が違うと返事をたらいまわしにしてやるからな。お前をうつ病と不安障害にしちゃっても、システムに悪気はないから許してくれよな⭐︎融通が聞かなくてごめんあさぁせぇ⤴️オホホのホ(うそうそ。何が夢野幻太郎。そういうbureaucraticな姿勢が心底嫌いだから、いつか自分が学生指導にまわる日が来たら、そんときゃできるかぎり個人に寄り添っていきたい。わいは夢見がちな理想主義者であり続けるぞ!)。

 

Bureaucracyを問題視している人には、人類学者David Graeberの「The Utopia of Rules(2015)」をものすごくおすすめする。現代社会におけるBureaucracyの蔓延と問題点について書かれている超良書。Bureaucracyは日本語にするなら「お役所仕事」という意味。

 

最初は大学のメールが怖いだけだったのが、そのうち自分の個人メールを開くのも怖くなり、Facebookを開くのも怖くなり、Lineを開くのも怖くなり、郵便物を開くのも怖くなった。絶対に大学の手が回っていないコミュニケーション手段でも、「何か悪い知らせのはずだ、悪い知らせに決まっている」という自動思考(認知の歪み)と、それに呼応する身体的な症状によって、不安が襲いかかってくるようになった。

 

今でもよく覚えているのは、うつと不安でメールが開けず半年ほど家族と音信不通になっていたときに実家から届いた小包。ラベルに「お菓子・非常食」と書いてあるのに、恐ろしくて7日間開けられなかった(開けた時も大泣きしながら恐怖心と戦って開けた)。中に手紙の類が一切入ってなく、ポストイットに「連絡がないので心配しています。食べてなくなるものだけ送ります」とメモがあったのをみて、説明したわけでもないのになんでマイメンはこんなにわいのことを理解してくれているんだろう?とまた泣いたのだが。

 

 

 

うつと不安を分けて考えるべきだった理由:治療法が違う

理由はとてもシンプル。

 

うつ病治療の初期段階では、逃避は必ずしも悪ではなく、むしろ推奨される行動だから。中期・後期でも、時折逃避を自分に許すことは、ディメンターが帰ってこないようにするためには有効な手段だから (メンタルが悪くなりそうなときに、わざわざ不安対象に突っ込んでいく必要はない)。でも、不安と逃避はその傾向があることをちゃんと認識していないと少しずつ癖ついていき、強化され、気づけばモンスター級に成長している可能性があるから

 

ディメンター初期においては、最低限のパワーを取り戻すために、不安を引き起こす対象から徹底的に距離をおく必要がある。それを考えると不安が胸をよぎりディメンターが元気になっちゃいそうなことは、徹底的に考えないのが有効。会社に行かないだけじゃなく、会社のことは考えない、のようなこと。

 

うつ治療中期・後期に差し掛かると少しずつ不安な対象物に触れ合う必要も出てくるが、それはあくまで復職や生活のためであって不安を克服するためではなかった。メールが不安だということはよーくよく認識していたけど、不安障害という病気を理解していなかったので、不安なことはその瞬間だけ鼻をつまんで頑張ってこなして、家に帰ったら甘いものでも食べて自分を褒めるって感じで(認識せずに)付き合ってきた。できることならやりたくない、考えたくもない、という態度で実行しているから、ACTのAcceptance(受容)とは正反対の姿勢である。 

 

そんなやり方でも一時期は大学にも通えたし、指導教官とも話せたし、何より研究は不安感に打ち勝って再開させることができたのだが、メールだけはだめだった。うつ治療の本にはなんでこんなにメールが怖いのか説明してくれる文言はなく、ずっと「認知の歪みも治ってきているはずだし、自分も責めていないのに、なんでメールチェックできないんだろう?なんでこんなに怖いんだろう?」と手探り状態。

 

 

鼻つまんで月に1度ペースで心臓破裂しそうになりながらチェックしているけど、この恐怖心、全然マシになってない。ちゃんと調べてみようと思って本を読み漁っているなかで、わいはようやく不安障害の本に行き着いたのである。本を読み進めているうちに、「なるほど、体調を悪化させないために基本的にストレスを避けることを許してきたけれど、不安という問題は避けることで増長するのか!!!」とようやく気づいたわけだ。

 

自分の体調に気を使って、ディメンターを遠ざけておくためのストラテジーのひとつとして活用していた「ストレス避け」が、不安障害においては不安な感情や衝動をモンスター級に育てるための方法だったのだ

 

うつ病にはうつ病の治療法があるように、不安障害にも不安障害の治療法がある。CBT(行動認知療法)はどちらにも使われる方法だけど(『嫌な気分よ、さようなら』で有名なディビッド・バーンズは、『不安もパニックも、さようなら』という不安障害の対処本も出している)、エクスポージャー(暴露療法) なんかは明確に不安障害を対象にした治療法で、うつ治療の本にはしっかり出てこない。※ 暴露療法とはわざと不安や不快感に自分を晒すことで恐怖心を克服する方法。より簡単なタスクから難しいタスクまで段階にリスティングしていき、イージーアイテムから慣らしながら、できることを増やしていく。BL漫画の『テンカウント』で不潔恐怖症の城崎さんがやっていたやつ。

 

多分、どこかのタイミングでエクスポージャーをしないと不安障害は治らないんじゃないかな、というのが現在の実感。エクスポージャーを実行するための勇気を持つための思考法は様々種類があるようだが。CBTのように「悪いことが実際に起こる可能性は限りなく低いから、勇気を出してやってみよ?」って思考法もあれば、ACTのように「悪いことが起こる可能性は常にあるけど、マインドフルネスに落ち着いて不安反応を受容することで、不安でも行動していけるようになろ?」っていう思考法もある。

 

いずれにせよ、逃避がやめられない人間はどこかの段階で不安に向き合う必要があるんだと思う。できれば医者っぴやカウンセラーぴっぴの助けを借りながらね!病院に行くのが怖い人は、さっきのACT本は「本を使った自助努力でも効果があり」という実験結果が出ているからおすすめかもだぜ。CBTの方が好きならバーンズの本もいいぜ。

 

 

 

不安障害の治療には勇気がいる

うつの治療では「症状、原因、考え方をマネージする必要」が、不安の治療は「勇気を出す必要」があるのではないか、というのが主観的な理解である。もし自分の治療履歴をやり直せるのであれば、うつ病の診断が下った2016年の時点で、不安障害の理解も深めておけばよかった、と思う。復職をトライする段階で、うつ症状のマネジメントと並行して「不安を抱えていないか?不安から逃避していないか?」をチェックしておけばよかった。「最近ディメンターでてないぞ、よしよし🎵」だけじゃなくて、「ディメンターが出ていないのは不安の根元から逃避しているからじゃないのか?」と自問できたらここまで不安障害を深刻化させなくて済んだのかな、と思うのであった。

 

復職段階でエクスポージャー経験を重ねた人は(その瞬間は鬼怖くて、鬼辛くても)長い目で見れば不安障害の芽は摘んでいることになる。でもストレスが頂点突破するとディメンター登場(ババーン!)しちゃうから、バランス感覚が大事になりそうだ。

 

一般化するつもりは毛頭ないが、個人的にはうつよりも不安障害のほうが辛い。うつはハッキリ病気だったけど、不安障害を患っている今の自分は健康だから。頭も体も問題ないのに「なんで勇気が持てないのか」とてもフラストレーションが溜まるのだ。ものすごい弱虫な気がするし、逃避で時間を無駄にしていることが涙でるくらい辛い。のに、逃避を辞めるのは怖い。自分でも意味不明すぎて辛い。

 

ここ数年でうつ病への理解はすごく広がったと思うが、同時に不安障害への理解も広がっているだろうか?不安障害を認識するのに3年もかかっちゃったわいは、「不安障害」と「うつ」の違いが適切に広まればいいなと思う。

 

上記の不安障害の本によると、途方もない不安感に苦しんでいる人間が実はめっちゃ多いらしい。こんな気持ちを抱えている人間がいっぱいおるのかと思うと......(涙)、本当に自分も含めて心底同情する。I feel you。あなたの苦しみを感じるよ。いつか、わいが勇気を持って人生に復帰することができるようになったら、その時は絶対にここでノウハウを全部共有するお。「大丈夫やったで!なんとかなったで!」って大声で言ってあげたい。もんじゃ!

 

まあ美味しいびわジャムがあるから、最近はちょっと元気えへへ。小さいことからがんばるお!