色々やってみる日記

粘土フィギュアの製作ログ、うつや不安症の話、論文執筆やResearch Studentのあれこれについて。

精神科医との最後の診察【日記】

今日は、2017年の3月からずっと俺の治療に当たってくれている精神科医に会いに行った。2019年の4月以来音信不通にしてしまったので、10ヶ月ぶりの再会になる。先生のことはすごく大好きだったし、友達とすら思っていたけど、会ったらメールをチェックさせられるんじゃないかと思ったら会えなくなってしまった。ミルタザピンとセルトラリンが切れようが、先生に会えなかろうが、「メールをチェックさせられるよりはマシ」という判断だったんだろう。

 

アポなしで先生の診療所を訪れる。毎週木曜と金曜は必ずオフィスにいてるはずだけど、今日先生が出勤しているという保証はない。

 

「もしよかったらアポイントメントを取れないでしょうか。もう生徒じゃないので、システム的に難しいかもしれないんです。そして、月末には日本に帰るので、来週中じゃないとアポイントメントに応じられないんです。あと、よかったら大学に提出する手紙を主治医として書いていただけないでしょうか」

 

そんなことをお願いするために会いに来たけど、心の何処かで疎ましがられる想像をしていた。10ヶ月も来なかったのに、今更何しに来たの?もう学生じゃないなら、診察はできないよ。予約でいっぱいだから、診察はできないよ。手紙は書けないよ。そんな返答が来るような気がしてた。

 

 

 

先生に会う前は、いつも角のセブンイレブンで1ドルのコーヒーを買う。今日は30度超えで暑かったから、アイスメルトという「アイスクリームが入った入れ物に、コーヒーを追加で注いで飲むもの」を買った。底にバニラアイスがしいてある入れ物を冷凍庫から出して、マシーンのコーヒーを入れるんだけど、集中力が足りなかったのか、間違えて「アイスメルト」ではなく普通の「ブラックコーヒー」を選択してしまう。マシーンから入れ物を超えて溢れ出すブラックコーヒー。

 

気を取り直して保健センターへ。精神科はエレベーターを上がって1階。先生の診察室の外の椅子で待つ。物音はしなかった。受付のシャッターは降りていた。先生が、すぐに診察室から顔をぴょこっと出した。「今日は、僕に会いに?」と尋ねられる。そうです、と答える。先生は中に。また顔を出して、「ちょっと待つ時間ある?」と。「今日はいくらでも待てますよ」というと、了解と言って中に戻って行った。

 

20分もしないうちに、前の人の診察が終わる。

 

通りすがりに、「あなたのことはなんて呼んでいたっけ。OOO(名前)sanだっけ、それともXXX(苗字)sanだっけ?」と言って、先生がニヤッとした。「いつもはXXX(苗字)sanと呼んでいましたよ」と返す(英語圏の国なので、私が日本人だからと『苗字にさん付け』で呼ぶのはこの先生くらい)。

 

診察室に招かれた。

 

「先生、私アポイントメントないんだけど、いいの?」

 

「ちょうどこの時間の子がキャンセルになったから、いいんだよ。入って」

 

先生はアポなしで10ヶ月ぶりに尋ねて来たのに、事情すら聞かなかった。ただいつもの診察室の椅子に座らせてくれて、いつものようにカウンセリングを始めた。

 

 

 

久しぶりだね、どうしていたの。全くいつもと同じ調子でカウンセリングが始まった。この10ヶ月間のことを言葉を尽くして説明する。先生はいつものようにうなずきながら、ごく稀に聞き返しながら、時系列を手元のノートに書き込んで行く。

 

「大学に提出する、手紙をお願いしたいんです」と言うと、「それは書くよ。書くから心配いらない」と。

 

全部を話し終えて、先生から言われたことは基本的に2つだった。ひとつは「君はこの5年間、メンタルヘルスの病気になって、何かよかったことはあった?」「たくさんありました」と答えた。

 

実際に、よかったことの方が多いような気がしてる。失ったものはひどく多かったし、道のりは本当に死にそうなほど辛かったけど、

 

自分のことを責めないようになった。他人を思いやるように、自分を思いやろうと思い始めた。人に優しくなった。人には思いもよらない事情があるかもしれないと思うようになった。理想の自分を追いかけるんじゃなくて、現実の自分を認めてあげようと思い始めた。不安障害は本当に辛かったけど、暴露療法をしたときの自分は今まで生きて来たなかで、一番勇気を出せた自分だったと思う。

 

そんなことを話したら、「この前、パラリンピックのバスケ選手のインタビューを見たよ。彼は今までの人生で起こった一番素晴らしいことは、足を失った事故だと答えていた。それで、彼の人生を見る目が変わったからだ」と。

 

「わかると思います。うちのお母さんも関節リウマチになって、歩けなくなった時期もあったし薬はキツイしで本当に散々だったけど*1、『呪いが解けた』って言うようになった。生き方が本当に変わって、『人生を生きる唯一の目的は、楽しく生きること』と思うようになったって」*2

 

そして、先生から最後のアドバイスのようなものをもらった。

 

「いいかいXXX(苗字)、何も恐れる必要はないんだ。何も、だ。何も恐れなくていいんだ。世の中は思い通りには行かない。自分のベストを尽くして、あとはただ展開に身を委ねたらいいんだ。君はこの10ヶ月間『メールがチェックできない』ととても不安だった。でも、君は1月にチェックできたんだから。別に、不安になる必要はないんだ」

 

「でも、先生、もし私が(一度アポを取ろうとした)去年の7月に診察に来れてたら、私になんてアドバイスをした?」

 

「……それは、メールをチェックさせただろうね!」と言われて、二人で爆笑。

 

「恐怖に向き合うことは大事だ。人生は毎日が暴露療法みたいなものだ。でも、何も怖がらなくていいんだから。人間はなにでいつ死ぬかわからない。今日死ぬかもしれない。死なないかもしれない。未来のことなんて何もわからないんだから。博士課程がどうなるか不安だ、仕事が見つかるか不安だ、なんて思わなくていいんだ。自分のベストだけ尽くしていたら、そのうち勝手に解決されているよ。ベストを尽くすのだって、『その日にできたベスト』でいいの。『あれが達成できなかった』なんて思い悩まなくていいんだよ。自分を信じるんだ。自分が信頼に足る人間だと信じるんだ。XXX(苗字)、僕は君のことを、ずっと頑張っている善人だと思ってきたよ。僕は君のことを信頼できる。」

 

帰り際に先生におみやげを渡した。「本当はあまり受け取らない方がいいけど、XXX(苗字)からなら受け取る」と貰ってくれた。そして握手して、きつくハグをして、「大学に出す手紙は、君が帰国する日までに書くよ。君とは連絡が続けば嬉しいと思っている。たまにメールでもくれよ。」と先生。

 

お互いに「I wish you all the best」と願いあって、診察室を後にした。

 

 

 

*1:今も治療中だけど、病院を変えて日常生活は普通に送れるようになった。

*2:みんなが病気をありがたく思え、というわけでは決してないよ我が家ではそういう側面があったというだけ。その境地にたどり着くまでにわいも母も2〜5年はかかってるし、たどり着いてからもアップダウンはある。