色々やってみる日記

粘土フィギュアの製作ログ、うつや不安症の話、論文執筆やResearch Studentのあれこれについて。

Awaken: As if getting out of an abusive relationship...【日記】

1月19日の暴露療法から、ジェットコースターな日々を過ごして来た(富士急ハイランドの「ええじゃないか」レベルのジェットコースター)。この1カ月、ほとんど毎日、何時間かは死にたいと思っていた(でも希死念慮であって自殺願望ではない)。けどその一方で、自分でも驚くくらい、やるべきことをひとつずつ片付けられちゃった1ヶ月だった。いや、ほんと、驚き。なんか富士山に登ったり100kmマラソンに挑戦した人が、あとあと振り返って「良くあんな事ができたなぁ」と思う感じに似ているかもしれない。

 

10ヶ月間、恐怖心で一歩も身動きが取れなかった人間からしたら、信じられないくらい勇気を振り絞り続けられた1ヶ月だった。絞って、絞って、また絞ってこれたのよ。それに呼応するように、ひとつを除いたほぼ全ての問題を解決に導けた。っぽいのよ。驚きと感謝でいっぱい。クソみたいな奴も途中にいたが、1ー4で親身な人が勝った。

 

自分としても奇跡的な頑張りを出すことができて、他人という意味でも奇跡的な巡り合わせに助けられた1ヶ月だったのだ(この前、精神科医にノーアポで会いに行って、偶然キャンセルが入っていたからと飛び入りで診察してもらえたのもそう)。

 

【参照】精神科医との最後の診察【日記】 - 色々やってみる日記

 

 

 

そして今日またある巡り合わせがあって、ひょんなことから、ガッツリ目が覚めるような出来事が起きた。悪いことじゃなくて、多分良いことで間違いないと思う。細かい顛末はまだ書かないけど、これからの自分の身の振り方に、想像していなかった第3の道が現れたような感じ。目指している先は、どのルートを通っても同じ場所。ただ、想像していなかった行き方があると教えられて、頭に金だらいが落ちてくるような衝撃だった。

 

第3の道はかなり舗装されていない砂利道で、歩くのはわいのメンタルヘルス的にキツい道のりになると思う。行になると思う。ただ、長い目で見たときに一番後悔が少なくなるのはこの第3の道なんじゃないかって気がしてる。一番面倒臭い、楽ではない道だが、「自分を責めないで生きる」という意味では唯一無二の光を放っている。

 

はてなブロガーのmisoyorishiohaさんが痴漢被害を警察に届け出て、警察からセカンド被害のような酷い扱いを受けたという記事を思い出した。こんな目に遭ってしまったのが本当に可哀想で、理不尽で、意味不明で。同時に、それでも泣き寝入りしないという決断に、本当に頭が下がる思いだった。正しいことをするのがとてつもなく当事者の労力や精神状態を消耗してくるケースっていうのがおそらく多々ある。自分のメンタルヘルスのためには黙って消えるのが一番楽、というような(それはそれで、尊重されるべき難しい選択。被害者には非がないのだから)。

 

そんな選択肢が、私の目の前にも3つある。そして、今日の気持ちとしては、面倒臭くなりそうだし、また病むかもしれないけど、自分を信じて砂利道を進もうかと。きっと誰かが味方もしてくれるだろう、と。そんな決意をする前夜、という感じ。

 

あと、解決すべき事象はひとつだ。こんがらがっている事象で、3つのパーティが参加している。私は3つのパーティにそれぞれ少しずつ違う態度で接して、できるだけ物事を有利に運ぶ必要がある。俺は打算は苦手だが、少し頑張ってストラテジックになろうと思う。先のことを考えると気が重い。だが、やってみないとどうなるかなんてわからない。自分を信じて、自分のために戦えるところまで戦ってみようと思う。飛び込んで、助けてくれる味方を探そうかと思う。諦めるより、話をしてみようと思う。すでにボディブローのように面倒で気が重いけど。(何回言うねん)(いかんいかん、まだ起きていないことに意味付けをするのは先入観を増やすだけだ)。少なくとも誤った行為ではないような気がする。うん。

 

どうせ俺は死ぬまで頑張らないといけないらしいんだから、これも次にやってきた課題として、ただ粛々と頑張ってみようと思う。今日はとりあえずそう思ってるんだ。

 

【参照】どうやら私は死ぬまで頑張らないといけないらしい。 - 色々やってみる日記

 

ただ、この記事を書いた時と何か意識が違うとすれば、「頑張らなくちゃいけないのは自分だけではなく、他人もである」と今日気づいたことだろう。セクハラ被害を受けたときに、服の露出が多かったから、お酒を飲み過ぎてしまったから、相手にあやふやなメッセージを送ってしまったから、そんな反省を女性だけが延々するのは間違っている。全ての罪をひっかぶる必要はなくて、「ここは私の落ち度。だが、ここからここは断固としてあなたの責任である」という姿勢を他者にも向ける必要がある。責任のなすりつけあいではなく、責任のリーズナブルなアサインメントだったりアセスメントをすること。俺の過去記事を読んでもらえば透けて見えると思うが、俺は今まで自分の責任ばかりに目を向けて、他人の責任を追求しようと思わなかった。長年のうつと不安障害のせいかもしれないが、そういう思考がすっぽりと抜けていたのだ。自責思考から抜け出すには、こういう認識も大切なんだと今日教えられた。「責任がある参加者たちで、この泥をきっちり分け合いましょう」という揺るがない意志。先のことは読めないけれど、次に俺がする人間修行はそういう仕事みたいだ。